前回、若者の職業訓練について書く、と予告したけれど、
少し時間が経ったので違う記事を挟みたくなった。
■通信制高校の誘惑
実は高校卒業資格について書いてみたくなったのだ。
大阪府内にもいくつかある通信制高校。
教室で授業を受ける通常の学校のスタイルではなく、自学自習が前提の学校だ。
まったく学校に行かないわけでもなく、
単位修得やテストのために「スクーリング」に参加する必要もある。
だが、全日制高校に比べれば、通学・授業の負担はかなり軽減されている。
通信制高校は中学時代に不登校になったり、高校になじめなかった生徒が通うところ、
というイメージは定着していると思う。
集団が怖い、授業のペースについていけないなど、全日制高校に3年間通学することが難しい若者もいる。
もちろん、就労していて毎日通学が難しいから通信制高校、という生徒もいるにはいるが。。。
ただ、毎日通学し授業を受ける全日制高校と通信制高校で同じ「高校卒業資格」という、
全日制高校の生徒からするとなんとも言えない状況がある。
もちろん、通信制高校を卒業することは簡単なことではない。
10代の若者の多くは、総じて自分に甘いものだ。
そうなってくると何が疑問かって、「授業」ってなんなんだろうというところだ。
全日制高校に通っていたオトナたちからすると、
「授業」に出ずになんとする、というところだが、それは今回はカッコに入れる。
そもそも、高校は義務教育ではないし、大学や専門学校への進学には意味はあるかもしれないが、
おそらく高校の学習指導要領は就職に適したカリキュラムではない。
教科学習について一定の理解に達しました、というのが高校卒業資格で、
「高等学校卒業程度認定試験」にもそれがあらわれている。
全日制高校と通信制高校や高認の矛盾は、前者は「授業」に出席しなければ単位が取得できないのに、後者はその条件がかなり緩和されている、というところだ。
これって、本当にこのままで良いのだろうか。
全日制高校を卒業して証明できるのは、ある程度の出席要件をこの生徒はクリアできました、
ということだけになってしまう。
それだったら、生活の苦しい高校生は通信制高校に通いアルバイトをする選択をする方が賢いということになる。
■高校卒業後と卒業資格のギャップ
通信制高校だろうと、全日制高校だろうと、ある一定の時間をかけて教科学習し、
その達成度を確認する、というのはまぁこのシステムを提供するオトナたちにとっては必要な行程なんだろう。
現実的には高校を卒業した人の半分が大学進学で、20%が専門学校等への進学。
とすると、残りの30%は就職と考えられる。
高校卒業資格は就職できる能力を保障するものではない。
それは、いわゆる困難校と言われる高校に通う生徒のモチベーションに、
大きな影を落とす。
通信制高校では授業を受けずに卒業できるし、
卒業したからと言って自分の生活を支える技術が身につくわけではない。
専門学校に行くだけの経済力も将来の夢もない若者は途方に暮れている。
分かっているのは、高校を離れたら(中退にしろ卒業にしろ)働かなければならない、ということ。(辻田梨紗)
NEETとは、ご存じのとおり「Not Education,Employment or Training」の略である。
「教育」や「雇用」、「訓練」のカテゴリーにも属さない存在の若者を指す。
この概念の輸入元であるイギリスでは、本来は10代後半の若者と定義されている。
おそらく、経済的・社会的・情勢的に、10代後半の課題を抱えた若者をいったんカテゴライズし、そこに集中的に「投資」をしなければならない、という危機感のあらわれだと思われる。
日本では「ニート」と言えば、20代も含まれ、今では30代でも「ニート」状態と呼ばれるようになっている。
別にこれを否定するつもりはないが、このことによって、本来イギリスで持たれていた「危機感」のようなものが、日本に輸入され再定義されたことによって薄まっているのではないかと、最近感じている。
それは、既存の就労支援では、Employmentへのカウンセリングとマッチングが中心であり、無意識に問題が若者へ焦点化されていることと結びついている。
要するに、若者の問題は社会(仕組み)ではなく「個人の問題」だ、という前回の記事とも関連していて、若者を「育む」という視点が弱く、相談すれば何とかなるだろうというこの問題への楽観的な態度が見え隠れする。
本来、若者とは育てなければならない存在である。
育てるのには時間とお金がかかる。
誰を、いつ、どのように育てるのか、というとても難しい問題もある。
さらに、Education,Training→Employment の流れがもっと円滑にできそうな気がするのだが、まさに縦割り行政に阻まれている。
そういえば、職業訓練校というものが全国に存在するが、「失業保険受給資格者」が対象で、入るためには試験もあるし、そもそも「若者」を育てるという観点は薄い(高校中退者や大学中退者、もしくは卒業後は「失業者」ではない)。
ドイツなどには民間団体が職業訓練校を作り、自治体から補助を受けている。
実際に職業訓練校を1つ見学したが、レストランや美容院、造園やマスコミ機材など、
本物が用意され、かなり「投資」されている。
日本で若者が職業訓練を受けるとしたら、高校の専門科や高専、専門学校等に行くことになる。
でも、お金はかかるし、農業科や工業科、商業科は(若者自身が)なんだかいやだ、とか、
専門学校は高校を卒業していないと、とか色々出てくる。
日本社会というのは、自分の子供には投資するが、「こども・若者」全般にはなぜかお金を出し渋る。
保育や非行、養護そして不登校の分野は常に経済的な課題を抱えている。
そこに投資すること、その意味を頭ではわかっていても行動に移せないのは、なぜなんだろう。
それが分かれば、これらの分野の課題の半分くらい解決してしまうかもしれない。
おそらく、「寄付」という文化が欧米とは違うことが影響しているのだろうとは思う。
投資にはいくつかの財源があって、行政から、個人から、企業からなどがメインだろう。
それらがどのように判断し、どのようにお金がめぐっているのか、
そこにはその国の「態度」みたいなものが顕著に現れるような気がして仕方がない。
そして、「自己責任」という魔法のコトバ。
その言葉で当事者たちは言葉を失うか、失望する。
「自己責任」というコトバは、発した側は何かを解決したような気になるのかもしれないが、
状態はひとつもよくならないどころか、後退する。
嘆いても状況は変わらないので、話を少し戻す。
最近、大学中退や大学を卒業しても進路が決まらない若者がフューチャーされている。
私が関心があるのは高校中退後や、卒業後の進路未定の若者だが、実は前者と後者は同じようでまったく性質の違う問題だ。
前者は「ひきこもり」と親和性が高そうなイメージだが、後者は「貧困」と親和性が高い。
大学中退と高校中退は、別の問題だろう。
どちらにも支援=投資が必要だが、高校中退への支援はまだまだこれからだ。
ただ、アプローチとしては、もう少し「職業訓練」というものを考えてみてもいいのではないだろうか、と考える。
「職業訓練」のためには「職業選択」というステップが必要だが、
それは若者が「職業訓練」受ける、という仕組みを考えてからにしよう。
次回は、そのための少し新しい仕組みを実験的に考えてみる。
つじた
私たちが出会う若者の中には、一見すると「自立(就労や社会参加)に向けた支援」を求めているのかな、と考え込んでしまう人がいる。
就労相談の場合は、窓口に訪れたらそれ自体が「就労したいです」という態度のあらわれともとれるが、
実は全員が情熱を持って「就労したいです」と言う訳でもない。
特に、社会から遠ざかってしまった若者は。。。
そんな時、支援者・支援機関側が時々発する「あなた(若者)が本気なら手助けしますよ」「あなたのやる気を応援」的なメッセージは、
ひきこもっていた若者たちにはあまり有効ではないように思う。
「やる気」の「対価」に支援を提供するという流れは、自己責任論と紙一重だ。
「やる気」とは個人の内面に帰結しがちで、社会に「やる気」をそがれてしまったことを覆い隠してしまう。
つまり、
就労できていない→「やる気」が足りない→個人の責任
という図式で、
「就労できていない」の前にある社会から遠ざかり続けていた要因を、個人に責任転嫁してしまう怖さがある。
身近にひきこもっている人がいない場合、そういった思考になるのは何となく想像がつく。
しかし、多くの若者は「社会」との兼ね合いで難しさを感じ、ひきこもっている。
社会参加できていない若者がいる、ということは「社会問題」なのだ。
個人に責任を追求すると、若者やその家族を追い込む。
それをやってしまうと、「支援者」としては本末転倒だ。
しかも、実はもう既に就労自立支援に関してはかなり莫大な国の予算がついている。
国としても、「若者の就労自立は、個人の責任です」と今さら言える状況ではない。
個別の支援場面においては、「やる気」にフォーカスするやり方もあるのかもしれない。
実際、「モチベーションづくり・維持」なしには支援できない。
ただ、そこを見誤ると「やる気がないから支援がうまくいかない」と支援者も若者に責任を追求してしまうおそれがある。
それは、再び若者たちを支援者が傷つけることになりかねない。
今、急速に拡大している若者自立支援の業界は、人手不足だ。
支援のクオリティ維持は喫緊の課題だ。
若者の社会参加を「社会問題」として語る時には、「やる気」という言葉はほとんど意味をなさない。
支援者が若者の自立を「社会問題」としてとらえられているのか、今後、問われるのかもしれない。(つじた りさ / officeドーナツトーク事務局長)